
その日、美玖ちゃんは大学に来なかった。
少し早く講義が終わった私は、買い物をして帰ることにした。
大学の近くの商店街をゆっくりと歩いてみると、
可愛い雑貨屋さんや素敵なカフェが目につく。
カフェの前には、楽譜のように見開かれたメニュー表に、
小さくメニューと価格が載っている。
雫「あ」
メニュー表から店内に視線を移すと、
食器を下げる途中の綺麗な店員さんと目が合ってしまう。
店員さんのにこやかな笑顔に苦笑いを浮かべつつ、私はそっとカフェから離れる。
雫「ふぅ…」
1人でカフェに入るのは、少し勇気が必要かも…。
雫「きゃあ」
女性「おっと…」
雫「ごめんなさい!」
女性「前向いて歩かないと危ないよ」
雫「はい、ごめんなさい」
片手にコーヒーを持った背の高いスーツのお姉さんが、私を見つめる。
透き通るような白い肌に、キリっとした瞳、
まるで男装した舞台女優のようでカッコイイ。
スーツのお姉さん「フラフラしてたけど大丈夫?」
雫「あ、はい、大丈夫です」
スーツのお姉さん「そう、じゃあ」
スーツのお姉さんは、私の横を風のように颯爽と通り抜けていく。
ピンと背筋を伸ばしたお姉さんの後姿は、とても頼もしく感じた。
きっと物凄く仕事ができるんだろうなぁ…。
雫「私も行かなきゃ」
せっかく商店街を歩いているのに何もせずに帰っちゃうのはもったいない。
ちょうど、新生活用の小物を買いたかったので、少し買い物をすることにした。
店内に女の子がたくさんいる雑貨屋さんを見つけ、入ってみる。
雫「可愛い」
雑貨屋さんに入って直ぐに目についたウサギのマグカップを手に取って、
静かに眺めてみる。
表面は、暗めのブルーで空に星が散らばっている。
散らばった星に囲まれた大きな満月の下に、寄り添った2匹のウサギの後姿が見える。ウサギ達の表情は後ろからじゃ見えないけど、満月を見て、楽しそうにお喋りをしているような気がした。
そして、満月が雲に隠れて、光がなくなった時、もうそんな時間!!って驚いた2匹が、慌ててお家に帰っちゃう…なんて、絵本みたいな妄想をついついしてしまう。
雫「美玖ちゃんにあげたら喜ぶかなぁ…」
おばあちゃん「それ、2つあるんだよ」
雫「そ、そうなんですね…」
私と同じくらいの身長のおばあちゃんが、じっと私の目を見つめる。
急に真後ろで声をかけられて、心臓が飛び出すほど驚いたけど、グッとこらえた。
美玖ちゃんの分もないかと探そうと思った矢先だったので、
心を読まれたような気がして、それもまた驚いた。
おばあちゃん「ほら」
おばあちゃんが、全く同じマグカップをテーブル下の段ボールから取り出す。
雫「本当だ。じゃあ2個ください」
おばあちゃん「彼氏の分?」
雫「違いますよ。友達にあげるんです」
おばあちゃん「ウサギは、繁殖するんだよ。いっぱい増えるの。だから、このマグカップがあれば安産、子供も沢山産まれるよ。よかったね」
雫「いや…あの…」
おばあちゃん「2つで6,000円ね。世界に2つしかないんだよ。これは、有名な陶芸家の先生が作った作品だから落としても割れないんだから」
雫「そんなわけ……」
おばあちゃんが、パッと手を放し、マグカップが真っすぐに落っこちる。
雫「きゃああ!!!」
雫「…………」
しゃがみ込んで手を突き出した私の掌の数センチ上で、マグカップが小さく揺れている。
雫「………お、おばあちゃん」
マグカップの取っ手には、ヒモが括り付けられてあり、
おばあちゃんがヒモの先端を握りしめている。
おばあちゃん「あはははは、びっくりした?」
雫「しました…」
おばあちゃんは、満足そうな顔を浮かべ、ゲラゲラ笑いながら商品を梱包し始めた。
私は、レジの横にある丸椅子に座って、お財布から6,000円を準備する。
おばあちゃん「はい、どうも」
雫「あれ?他にも何か入ってる」
おばあちゃん「ダメダメ。帰ってから開けてごらん」
中身を確認しようとすると、おばあちゃんに止められる。
なんだか嫌な予感が…。
【続】