
布巾で手を拭きながら赤い着物の女性がやって来る。髪の毛をキッチリとまとめ、着物もキッチリと着こなした女性は、まさしくママと呼ぶにふさわしい気品のある雰囲気だった。狐のような細めの瞳に口元のホクロが、魔性の女のように魅力的だ。
テーブルを挟んだ私の正面に菫さんが座る。
雫「真中雫です。よろしくお願いします…」
私は、その場で立ち上がって頭を下げる。
菫「どうぞ。緊張しなくても大丈夫よ」
雫「はい……」
大人の余裕と色気の感じられる菫さんの笑顔は、色っぽい。天井から見えない糸で吊るされているように背筋がピンと伸びていて、まるで着物を着せたマネキンみたいだった。
菫さんから給与、交通費、仕事内容、お休み等。アルバイトで必要な内容を一通り教えてもらった。面接らしい面接は特になく、私は無事にスナックで働くことを許可された。菫さんは、見た目通りの真面目でシッカリした人だった。私も話すにつれて緊張が解けてきた。これがスナックのママのテクニックなのかもしれない……。
ママ「私のことはママって呼んでね」
雫「はい、わかりました」
ママ「翠ちゃん、ドレス見てあげて」
ママが振り返ると翠さんの姿がない。私もママの顔ばかり見ていたので、翠さんの存在をすっかり忘れていた。
ママ「……」
雫「……」
ママ「給料から引くわよ」
ガンッという痛々しい音がカウンター席のテーブルから聞こえ、テーブルに乗っていたお酒の瓶がグラグラと揺れた。翠さんが、頭を摩りながらテーブルの下から顔を出す。いたずらが見つかった少年のような気まずい顔をしている。手にはお酒の少し入ったグラスを持っている。
翠さん「だって田村のおじいちゃん3年は来てないじゃ~ん。もうお亡くなりだって」
ママ「失礼な子ねぇ」
ママは呆れたといった感じでため息をつくと、こめかみを押さえながら小さく首を横に振った。
翠ちゃん「雫ちゃん、こっち来て。ドレス見てあげるから」
雫「はい」
カウンター脇の暖簾をくぐると、お酒の段ボールや食材の段ボールが並んでいる。
雫「料理も出すんですか?」
翠さん「うん。たまにママが簡単な手料理を振る舞ったりするの」
雫「すごーい」
翠さん「まかない付きなんて最高だよねぇ。すっごく美味しいんだよ」
雫「翠さんも手伝ったりするんですか?」
翠さん「え?私は出来ないよ。食べるだけ」
雫「なるほど……」
【続】